「ツイッター 140文字が世界を変える 」を読んでツイッターについて考える
私はツイッターが好きですが、ツイッターについて考えることも同じぐらい、いやそれ以上に好きです。話題の「ツイッター 140文字が世界を変える 」を読んだところなので少し考えてをまとめてみます。本書は著者のおふたりが長年インターネットのなかで生きてこられてこその説得力がいかんなく発揮されていてとても読み応えのある本でした。入門書といってあなどっていてはいけません。
ツイッターでようやく情報のやりとりがシームレスになった
まず、「ツイッターとは何か?」というおなじみの問いから始めるとします。私が思うにツイッターはコミュニケーションのツールです。コミュニケーションとは何かというと「情報のやりとり」です。つまり、情報の発信と受信、キャッチボールがコミュニケーションなわけです。意外とこれが今までは難儀だったのは振り返ってみてわかることです。
受信/発信を三世代に分けて考えると、今まで受信と発信はそれぞれ別々の行為だったことがわかります。
メール時代:メールマガジン/メール
ブログ時代:ブログ/コメント・トラックバック・ブックマーク集約サイト(はてなブックマーク、diggとか)
ツイッター時代:ツイート/ツイート
メールマガジンを購読していたからといって筆者と簡単にやりとりができるわけではありません。ブログにしても、コメントはなかなかしづらいものです。ツイッターでようやく情報を得て、それをダイレクトにリアクトすることができるようになったというわけです。
情報の発信という点からもこれまでのメールマガジンやブログに比べて、ツイッターの敷居の低いことは驚異的です。この驚異の敷居の低さがどういう世界をつくっていくのか考え出すと止まりません。
情報量が増えるとコンテンツは小さくなる
いま、こうしている間にも情報は爆発的に増えています。この途方もない大激増によってこれまでの情報という概念が変化しつつあることを感じます。インターネット以前はこのような流れであったと思います。
- 情報量が限られている/アテンションが豊富/コンテンツの粒度が大きい方が望まれる
これに対して現在はどうかというと。
- 情報量に限りがない/アテンションが限られている/コンテンツの粒度が小さい方が望まれる
つまりツイッターのようなマイクロコンテンツが登場した背景には情報の量的爆発があるということです。それによって、一つあたりのコンテンツにかけることのできるアテンションが劇的に減ったということが言えます。また、この少ないアテンションをいかに効率的に振り分けるかというところでライフハックの登場とも繋がりそうです。雑誌が読まれなくなったのもコンテンツとして粒が大きすぎるのが原因ではないかと感じます。
コミュニケーションの変化
コミュニケーションという場合、大きく二つ考えられそうです。ひとつは個人間のコミュニケーション。手紙、電話、ポケベル、携帯というふうにデバイスがどんどん小さくなってきています。そして、それにあわせてコミュニケーションが変わっていったということは言えるでしょう。携帯がメールだとすれば、iPhoneこそがツイッターです。2006年のツイッターのサービススタート。その翌年のiPhoneの発表。そして昨年のiPhone 3Gの登場と今年のツイッターのブレイク。歩調があいすぎるほどでびっくりします。
次に個人と社会との間のコミュニケーションです。いわゆる4マスと個人との間の、企業CMと私たちとの間のコミュニケーションです。これまたどんどんマイクロコンテンツ化していっています。
つまり、インターネットによる情報の量的爆発の結果、人々のアテンションがどうにも追いつかなくなったというまさにそのタイミングにあらわれたのがツイッターで、しかも、それは優れて効率的なコミュニケーションツールでもあったということから、これまたインターネットデバイスのiPhoneの登場とも相俟って一気にブレイクした。こういうことではないでしょうか。
コミュニケーションが大きく変わったことで社会的にどういったインパクトがあるか。個人的に最も関心のあるところはここです。社会的なインパクトというのはたとえば企業の変化です。政治の変化です。社会の変化です。ツイッターの最初の印象は個人間のコミュニケーションが変わるというだけだったものが、今ではもっと根本の部分を揺さぶっているような気がしてなりません。
本のなかでもっとも印象的だったのはこのフレーズです。
On page 203:
そう!14年かかって!やっとネットはここまで来たのです。それを今楽しまないで、いったいネットをやる意味なんてあるのでしょうか?
Don’t think, twit!
