7月 2009のアーカイブ
欲張らずにINとOUTのバランスをとるということ

全ての行為には「収集・整理・処理」の3段階があるように思います。食事をするのでも食料を買ってきて(ストック)、冷蔵庫にしまい(整理)、料理して食べる(処理する)わけです。やるべきことのリストにしても収集・整理・処理のプロセスを経ることは間違いありません。
問題は収集する行為は気軽にできるためにどんどんと膨れ上がってしまうということです。結果、整理できず処理もできないということになります。
気になること、興味があることをどんどん収集していっても時間を含む諸々の制約があるわけで全てを整理して、処理することはできません。つまり収集したものを漉す(フィルター)ということが重要になってきます。
何が自分にとって大事なのかという、価値観に照らし合わせて収集物を選り分けていき、そして確実に処理したいものに整理していく。そうやってアテンションをフォーカスしていかないと結局何もできません。
タスクを見直している時に思うのは私たちはあれもこれもと欲張りすぎるということです。結局、制約のあるなかでできることは限られているわけで大事なのはあれもこれもやろうとすることではなく、確実に何かひとつをやり終えるということです。ひとつずつひとつずつ。
時間の経過とともに目標が曖昧になるのはなぜだろう?
最近まったく早起きできなくなっていたのが自分のなかでは気になっていました。そんな折りに「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!という本を書店で目にしてしまい、そのタイトルに発奮させられました。
今年の初め頃は私も4時起きをしていたのですが、だんだんとその時間がずれていって、今月の目標としては「5時台に起きる」というかなり曖昧なものになっていました。実際、そんな目標設定では5時に起きることはできず、ここ最近はずっと6時過ぎに起きて慌てて朝食をとり出勤の準備をするということになっていました。
一旦目標としていたことでも時間の経過とともに、だんだんとなし崩しになっていくということはよくあることです。
例えば「毎日ブログを書く」という目標についても最初の1ヵ月はかなり意識しているので成し遂げることができたとしても、継続していくうちにだんだんと当初の意気込みがぼやけていってしまいます。
このことを理論的にどう説明できるのかはわかりませんが、とにかく目標というのは得てして曖昧になっていきやすいということ。意識することを意識しないと「あれ?目標?なんだっけ?」ということになるわけです。
なので大事なのは目標を定期的に必ずレビューするということです。毎週、自分の立てた目標というものをレビューして、どれだけできているのか、目標設定に間違いがないか、何のためにその目標を自分に課しているのか、などをチェックしないといけません。
そうはいっても、私もできているかというと上述の早起きのごとくできていないのですが。それでも、できていないということに気づくことは大事ですね。今日から再び早起き習慣をインストールしたいと思います。あと目標はあいまいにすると絶対にダメですね。4時に起きるというのと4時台に起きるというのとでは自分との約束強度が違います。これもまた意識していないとずるずると曖昧になりがちなところです。
レジリエンスという言葉を知る
佐々木俊尚さんの著書仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)には興味深いキーワードがいくつかあったのですが、一言だけ述べられていたレジリエンスという言葉の意味がよくわからず調べてみたところ、非常に関心を引き寄せられました。
レジリエンスとは「困難な状況にもかかわらず,うまく適応出来る力」とされています。本の中ではフリーランスとして必要な能力としてあげられていたわけですが、何もフリーランスに限った話ではないようです。
研究では、「肯定的な未来志向性」「感情の調整」「興味・関心の多様性」「忍耐力」の4要因をレジリエンスの状態にある者に特徴的な心理的特性とみなし,新たに精神的回復力尺度を作成しており、因子分析の結果,精神的回復力尺度は「新奇性追求」「感情調整」「肯定的な未来志向」の3因子で構成されることが明らかにされました。また精神的回復力尺度は”自尊感情”と正の相関を示す一方で,ネガティブライフイベント経験数や苦痛ライフイベント経験数と無相関であることが示され、分散分析の結果,苦痛に満ちたライフイベントを経験したにもかかわらず”自尊心”が高い者は,そのような経験をして”自尊心”が低い者よりも精神的回復力が高いことが明らかにされました。
やや難しい内容ですが、ようは、困難に立ち向かう力には、”自尊心”が重要であるということです。そのため、子どもが立ち直っていく過程では,子どもや家族が持っているエネルギーを引き出すことが必要でしょう。
via レジリエンス.
安定した家族環境や親子関係が子の自尊心を育み、そうした感情を持つことがレジリエンスを高める、ということなのかと思います。これは子を持つ親としては非常に参考にしたいところ。
常に前向きに、些細なことに心を乱されずに、色んなことに興味・関心を持って、粘り強く物事に取り組む。そういう人間こそ、まさに自分が目指すところです。

大事なのは手足を動かしながら頭を働かせること
「言うは易く行うは難し」という言葉があります。言うのは簡単だけど、実際に行動に移すのは難しいという当たり前のことを言っているわけですが、最近思うのは「ああ、そうだよね」で納得して終わってはいけないということです。
企画を立てるというのは「言う」部分で、実際にその企画を実装するというのは「行う」に当たります。職種で言えば「言う」がディレクターで、「行う」がデザイナーだったり、プログラマーだったり、要するに現場ということになるでしょう。「言う」部分が上流工程と呼ばれ、「行う」部分は作業と見なされて安く見られていたりもします。
もちろん「言う」部分が大事なのはその通りです。何も考えずに「行う」ことで弊害があるのは当然のことです。しかし、「言う」と「行う」が分離してしまっているのは問題ではないかと思います。頭と手足がバラバラに動いていることになるからです。
人が易きに流れることを考えればみんな「言う」方に流れていくのは当然の流れかもしれません。しかも、「言う」ことがキャリアの上流と見なされているのなら尚更でしょう。
手足は儲からず、頭は儲かる。このような偏った見方が蔓延すると手足はどんどんと衰えていきます。結果どうなるかというと頭でっかちになるわけです。言うだけは言うけど、実際何もできないという状態です。
最近の風潮を見ると誰もかれもが頭になりたがっているような気がしてなりません。手足となって動くのはまっぴらだ。手足を動かす頭にならないと、というわけです。でも、ちょっと待って。それではあまりにも手足を貶めていないでしょうか。
人間は手足を動かし、同時に頭を働かせているわけです。頭が先で、手足が後というふうには動いていないはずです。ものづくりということはそういう全身運動のことを指しているのではないでしょうか。頭と身体は常に相関しているのです。
手足を動かしている人は頭を動かし、頭でっかちな人は手足を動かすようにしないといけません。
おれ考える人、きみ作る人ではないのです。おれもきみも考えて作る人になるべきなのです。
経営理念|面白法人カヤック
http://www.kayac.com/vision/
今この瞬間に何をすべきかを知るということ
わからない。そのことだけで私たちはストレスを感じます。例えば私はWindowsの操作がわからない時にイライラとして強いストレスを感じます。コンピューターにせよなんにせよ、わからないものに対しては強い苛立ちを感じるのです。
ですが、なにもストレスの原因はそういったわかりにくい製品にだけにあるわけではないでしょう。例えばわからないことの代表として「人の気持ち」があったりします。何考えているかわからない!そう言って怒ったことがあると思います。これもまた「わからない」ことに起因するストレスです。
優柔不断な相手に対して「で、だから、どうしたいの?」と強いストレスを感じたことはないでしょうか。これもまた「どうしたいのかがわからない」ことに対するストレスです。しかし、この「どうしたらいいのかわからない」という状態は何も相手があってのことだけとは限りません。私たちもまた日々「どうしたらいいのかわからない」状態に置かれることが多く、その度にストレスを感じています。悩みという名のストレスを。
そういうわけでストレスを無くすには「どうしたらいいのかわからない」という状態を無くす以外にありません。常に指針を明らかにし、次にとるべき行動をリストにしておくことで精神的な安定を得られるのはそのためです。つまり、今この時間、ほんの数十分のこの時間に何ができて、何をすべきなのかがはっきりとしていれば何もストレスを感じることはないはずです。
ストレスフリーとは、つまり迷いのない状態を指すのではないのでしょうか。常に何をすべきかが明らかになっていればストレスを感じることは少ないはずです。
GTDとはそうした境地を目指すための自己鍛錬術とも言うべきものかもしれません。
パーソナル・ワーキングの時代
本書を読むとクラウドの進化やサードプレイスの登場といったことが全て会社に属さない生き方というものを支援していく方向性のなかにあるように思えてきます。おそらく根底にアメリカ西海岸的なライフスタイルを志向する力や思想というものがあって、その文脈上にそららの文化が生まれているからなのかもしれません。
AppleとGoogleがインターネットの世界をハードとソフトで牽引していることも既存の大企業を支えていく仕組みを提供する意図ではないはずです。つまり、テクノロジーの進化の流れと会社勤めしてオフィスで働くということがだんだんと噛み合わなくなってきたのかと。
働くということがもっとパーソナルになっているということなんだと思います。
ブロードバンドが極限まで推し進められ、クラウドの利用になんの障害も感じず、サードプレイスの代表であるスターバックスが至るところにある日本。こうした恵まれた環境を活かさずに旧来の慣習に閉じこめられて生きるのはなんともったいないことなのか。そんなふうに思わされる内容です。
働き方の変化に言及する以上に、それを成り立たせるための自己鍛錬(いかにアテンションをコントロールするか?)についても多く割かれていて、そちらのほうも大変興味深いものでした。
また改めてエントリーを書きたいと思います。

不安と向き合うための習慣づくり
日々、目をそむけながらも常につきまとっているもの。それは不安です。不安を見ないようにすることは簡単ですが、そうしたところでまたいつか向き合わなければなりません。そうした意味で不安とは非常に厄介なものだと思えます。
この不安というのは一体どこからやってくるのかというと突き詰めると自信の無さから来るのだと思います。自分を信じる力が弱いこと。それゆえ、ちょっとしたことで不安になり、おびえるわけです。
不安を完全に無くすことはできませんが、自信をつけていくことで不安要素を減らしていくことは可能です。そして、自信をつける方法はたくさんあるのです。
ほんのささいな成功体験を繰り返す。自分に課した課題をやり遂げる。毎日の自分との約束をきちんと守る。こういったことで自分を信じる力がついてくると不安にすぐに負けてしまうことが減ってくるのだと思います。
GTDをはじめとするライフハックな習慣術が流行ったのは、不安が広がっていることが背景にあるように思います。そして私がGTDに魅力を感じるのもまた不安からの解放願望があるからに他なりません。
毎日、確かなことをひとつづつ。習慣にはそうした力もあるように思います。こうやって毎日ブログを書くというのも目的としては安定したアウトプットを行うことで日々の不安定要素を安定させていくということがあります。結局、地道なことでしか安定は得られないということなのかと。
きっかけはすべて些細なこと
気分というものは実に儚く移ろいやすいものです。気分屋でなくても、これには多くの人が同意していただけるのではないでしょうか。良くも悪くも些細な出来事が一日一日の気分を左右します。であれば、この些細な出来事をうまく利用することで一日の気分を常にフラットに維持することができるのではないでしょうか。
例えば、朝、新聞を目にしていて陰惨な事件の詳細を追ってしまったとしましょう。その日の気分が優れてハッピーにはならないことでしょう。であれば、朝すぐに新聞には目を通さないということです。
私はソーシャルブックマークを見ていて、たまたまそこから開いたリンクを見て一日の気分を台無しにしたことがあります。それからそのブックマークのページを開くことはありません。
逆に些細なことで喜びを感じたり、感謝の気持ちを思い起こしたり、幸福を実感したりすることもまた大きな変化を与えてくれるものです。
たまたま、今日は日食でしたが、あまり関心がありませんでした。しかし、誘われてビルの外に出てこの目で雲間から日食を見た瞬間にムードが変わったのを感じました。
日食自体は些細なことではないですが、それをビルの外に見に行くという行為はたいしたことではありません。でも、そんなちょっとした行為や出来事が気分を大きく変化させてくれます。
些細なことを大事にしながら、常に気分を前向きに持ち直すような、そんな習慣をつけたいと思うこの頃です。
リストを書き直しタスク管理システムを再起動する
紙に文字を書きながら、書かれたその文字を見る。キーボードを叩きながら同時にスクリーンに映し出された文字を見る。こうしたインタラクションを通して私たちは自分の頭の中にあることを再解釈することができます。
私は毎週週次レビューを行う際に、次にすべき行動のリストの書き直しをするようにしています。今までウェブやMacのタスク管理ソフトを使っていた時にはやっていなかったことです。リストは常にそこにありました。動かないリストアイテムは動かないままずっと鎮座していたのです。
次にする行動リストを書き直すようになり、アイテムの再解釈を自然に行えるようになりました。大切なのは「書き写す」のではなく「書き直す」ということです。同じ内容のアイテムであっても、それを別の言い方で書く、ということです。そうすることで行動内容が具体的に変わったり、詳細になったりします。
そうやって毎週リストの書き直しをやり、次にやるべきタスクを抽出していくと何がずっと居残り続けているのかということがスクリーンでリストを凝視するより明らかになる気がします。
キーを叩くのとペンを持って文字を書くことを比較すれば確かにキーボード入力は楽です。しかし、楽であるということは脳に負担がないということです。脳への負荷が必要な時にも楽であることを優先してしまうことを実は怠けるというのではないでしょうか。意識して脳への負担を与えないと楽な方へと楽な方へと流れていくのが人間です。週に一度ぐらいは紙とペンを持って自分の頭のなかを覗いてみるのもいいかもしれません。
どの道が最善か?プロフェッショナルはハックする
先日、ショッピングセンターに行くのに送迎用のバスに乗ったときのことです。バスはいつも同じルートを通っていくのですが、その日は道が渋滞していたのか別のルートを通っていきました。こんな道を曲がるのか、というような道を涼しい顔で行く運転手さんの横顔を見て思ったのは、プロフェッショナルとしての矜持でした。
その職業でない人から見たらとても真似できないようなことを涼しい顔してさくっとやってのける。プロフェッショナルとはこういうことかと。
そう考えるとプロと呼ばれる人は常に別の方法、よりよい方法を探しては実践している人だと言えそうです。また、業務時間だけでなく、常にそのことを考えているということも。例えば、そのバスの運転手さんにしても業務時間に抜け道を知ったということはないでしょう。業務外の時間で気づいたことを職業にフィードバックしているのです。常にそのことを考えていると言っても、それは気に掛かっているという程度でそれは植物を育てるのに常にその様子を観察しているような様子と似ています。
普段から常に対象を気にかけ、隙を見つけてはそれを実践し、自分のものとしていく。ハックしていく。決められたことだけをやるのではなく、常にBetterを求めていく姿勢。そういうのが大事だと改めて思ったのでした。




