ソーシャルメディアを利用するときに心がけたいこと
この記事の主旨は「有益な情報を提供して信頼を構築すれば顧客の獲得につながる、だから役立つ情報を与えよ」というふうに聞こえます。確かにその通りなんですが、そのように力んで使って本当にその通りになるのでしょうか。私には疑問です。
なぜなら、リターンを最大化しようとする行動は結果的にリターンを遠ざけてしまうものだからです。
例えば、異性にモテたいと思っている人がそのような目的に向かって行動したとしてもモテるでしょうか。思えば思うほどモテないものはないでしょうか。金持ちになりたいと思って、そのための行動をとったとして果たして金持ちになれるかと言えばならないでしょう。もし、願ったように事が実現するのならば皆とっくに金持ちになっているはずです。
つまり、望めば望むほど逆に遠ざかっていくのが現実なのです。求めるべき結果はそれを意識しすぎてもダメだということです。むしろ結果を求めすぎないことで結果的に成功していたという方が多いのではないでしょうか。
儲けよう、儲けようと頭がそのことでいっぱいになっていれば、当然視野が狭くなります。なんでも金になるかならないかの基準で見てしまうため、隠れたビジネスチャンスを逃しているのです。
ソーシャルメディアをビジネスに利用するというのはコントロールできない評判とかポピュラリティをコントロールしようとするところに違和感があります。評判はつくるものではなく、自然と出来上がるものだからです。
うまくやってやろう。そう思っていてもうまくいくはずないのですから、むしろ力まずにリラックスして気軽に向き合うことがソーシャルメディアを利用するうえでのコツではないでしょうか。
デジタルで本を読むということ
最近、書籍のpdfをiPhoneにいれて読んでいるのですが、どうもしっくりときません。その理由を考えてみました。
私が本を読む場合、そこから何かしら知見を得ようとして読む場合は、まず章立てを見て全体の構成を理解し、次に各章のボリュームをざっと見ます。だいたいは順序通り読み進めますが、時々は章を前後します。読み進めながら、気になるポイントや後で書き留めたいと思う箇所には付箋をはっていきます。最後に付箋を確認していきながら、全体像を頭の中にまとめます。それからマインドマップにしてみたり、感想を文章にまとめたり、付箋の箇所をノート(iPhoneのMargins)に引用したりなどします。
こういった読み方をしているので、PDFではどうも頭に入ってこない感じがするのです。付箋をはることもできません。読んでいて感じたのは「今どこを自分は読んでいるのか」ということがわからない不安です。地図なしに、目的地も見えずに歩いているような不安を感じたのです。
紙の本であれば、すぐに目次にもどれますし、書籍の厚みで自分の今読んでいる位置や、どこが終わりかというのもわかります。どうやら私はそれと気づかぬうちにそれらを頼りにして本を読んでいたということです。
もちろん、iPhoneで読むPDFというのは読書に最適化された体験を提供するものではありません。AmazonのKindleではどうなのか気になるところですが、私の手元にはないのでわかりません。気になるところではありますが。
本の重みや、分厚さ、紙の質感といった情報はデジタルでは伝わりません。大事なのはコンテンツであり、手段は何でも良いと思っていましたが、実際にデジタルで本を読むということをやってみてそうではないということに気づかされました。メディアと体験は分かちがたく結びついていて、メディアが変わるということは体験そのものの変容を迫るということに。このあたり、そもそもデジタルで本を読むことが当たり前で育ってくる世代はどうなのだろうか興味あるところです。
おそらく、本の種類によってはデジタルが向いているものもあるのでしょう。現在地がわからない不安と前述しましたが、小説などは逆にこの特性が向いているのかもしれません。
不満と不安のマトリクス

私たちを日々苦しめるものと言えば、それは「不満」と「不安」です。幸せな状態というのはこの2つがない状態、満足し不安を感じていない状態だと言えます。私たちの活動のほとんどはこの2つを解消することに費やされます。
つまり幸せになるためにはこの2つを克服する必要があります。それぞれについて考えてみると次のような行動指針を持つことが大事だということがわかります。
満足するためには
- 自分で選択し決定する
- 足を知る
- 他人と比べない
不安をなくすためには
- 自信を持つ
- 楽観主義になる
- 支えを持つ
しかし、これが簡単なことでないことは誰の目にも明らかです。どうすれば自己決定できるようになるんだろう?どうすれば満足することができるんだろう?他人と比べないといったって日々人と会うのに。自信を持つのは大事だとはわかってるけど得意なことがないんだよ。楽観主義といわれてもこのご時世・・・。支えてとなる人もいないし・・・。
こうしたつぶやきは誰しもがしているんじゃないでしょうか。そうした時に目の前に現れるのが所謂自己啓発本の類です。
私はなにも自己啓発本を批判するつもりはなく、どちらかといえば好きでよく読むほうです。それはなぜなのかというと、やはり現状に「不満」で、将来に「不安」があるからです。
つまり、今の時代私みたいな人は実に多いわけで、それだけ需要があるということです。そこに「こうすればいいよ」「○○したかったら○○しなさい!」と説かれると「ああ、そうなのか。そうしているからこの人は自信たっぷりだし、満足して平和に暮らせているのか」となるわけです。しかし、本に書いていることをそのまま実践したところで「不満」や「不安」が解消されることはありません。
大事なのは「何に対して満足していないのか」「何に対して不安を感じているのか」ということをを明確にし、どうすればいいのかを自分で考えることです。そのためには自分の弱みが「不満」と「不安」を感じる心にあることをまずもって理解しておく必要があるように思います。
報酬主義をこえて
モチベーションについて考えていくと必ずこの一冊に突き当たるのではないか。そのように確信させられる一冊がこのアルフィ・コーンの「報酬主義をこえて」です。
私たちが仕事をしなければならないのは、外発的な動機付けによるものなのでしょうか、それとも内発的な動機付けによるものなのでしょうか?この外発的な動機付けというのが、つまり報酬主義です。ニンジンをぶら下げられ、ムチ打たれて仕事をさせられている。月曜が憂鬱で金曜がハッピーという価値観の根底にあるのは、この報酬主義です。
仕事をさせられている、雇われている。仕事をしなければ暮らしていくことができないから仕方なくやっている。できれば仕事はしたくない。このような考え方はあまりにも一般的であるがゆえにあまり誰も疑問をもちません。
これから働き出すという人にしてもそうでしょう。学生の頃の自由が失われ、自分の時間がもてない。友人たちも忙しくなって今までみたいに会うことさえままならない。などなど。事実私も働き出す時に感じていた鬱屈を思うと完全にこの報酬主義にとらわれていたと言えそうです。
このように仕事に対してネガティブに捉えてしまう原因がつまり報酬主義なのです。コレをしなければアレがもらえない。アレをもらうためにコレをする。どちらにしても動機というものをアレに左右されてしまっているわけです。
この報酬主義は、しかし、仕事に関することだけに留まりません。私たちが生まれ、育てられ、教えられるのがこの報酬主義だからです。子どもに言うことを聞かせる。勉強させる。親が考えるこれらのことは子どもというものはそもそも不完全なものだから、そうさせなければならないと決めつけていることが原因しています。
そうではないのです。子どもは自ら育ち、学び、成長していくのです。親が「成長させた」わけではなく、子どもが自ら「成長した」のです。これが誰かがどうこう言うからという問題ではありません。これこそが自発的な内発的な動機によるものだからです。
報酬主義の問題はどこにあるでしょう。代表的なのは、アレをするとコレがもらえるという時、関心がアレに移ってしまうということです。給料がもらえるから言われたことをする。何をするかは問題ではありません。どうするかも問題ではありません。とりあえず言われたとおりにしていれば給料はもらえるわけですから。
しかし、本当に大事なのはそれをどのようにするのか、そもそも何を解決するのか、成し遂げようとするのかということです。報酬づけられるとそのようなことを考えなくなるというわけです。
On page 195:
仕事を「苦行」ー必要なものを買うためにしなければならない不快なこ と、目的のための単なる手段ーとして捉えるならば、それは間違いだとい うことである。人間は生きるために働くばかりでなく、働くー食物を育て たり、ものを作ったり、問題を解決したりしてーために生きもするのだ。
著者のコーンは「仕事と給料を切り離す」ことを目指していると言います。もちろん現実には「暮らしていくために働かざるをえない」のは事実ですが、だからといって働くということをそのように捉えてしまうこと自体が日々の満足度、幸福度を下げてしまっているのもまた事実です。
目の前の現実をねじまげてポジティブに捉えようということではありませんが、私たちが前提としている考え方、価値観というものがどこに由来していて、本来そうではなくどうあるべきかということを知ることは大事です。
また、内発的な動機付けを損なう教育であったり、社会慣習であったり、そこを改善しなければならないのは言うまでもありません。
以前に記事にも書いたダニエル・ピンクの講演も是非あわせてどうぞ。
モチベーションは報酬にあらず!? 新時代のアプローチが世界を変える « When you were young
この本を読むきっかけを与えてくれたこちらのエッセイも。
iPhoneとデスクトップでシームレスなメモ環境を試みる

iPhoneでメモをとりまくっていると生まれてくる願望にそれをデスクトップで瞬時に見たいというものがあります。逆にデスクトップでしたメモをそのままiPhoneで見て編集したいとも。
もちろん、Evernoteという大御所アプリがあり、それで全て実現可能なのですが、どうも私にはEvernoteはメモ向きではないように感じるのです。A4のノートぐらいのイメージで、その1ページ1ページにちょこちょこっとしたメモをするのはどうも違和感があるのです。
iPhoneではmomoというアプリを使っていて、これが私の定番となっています。感覚的にはロディアのNo.11でしょうか。さくさくとメモをして、きりとっていく感じです。実際のロディアとは違って散在することもなく、後から探し出すのも容易なのでこれは手放せません。
デスクトップではNotational Velocityというメモソフトを使っています。これまたいちいち保存する手間もなく、ショートカットでどんどんメモしていけますし、検索も非常に楽なので重宝しています。何よりシンプルなのが素晴らしいアプリです。
この2つをシームレスに繋げることはできないか?
もちろん、momoはウェブで同期をとっており、ブラウザから内容も見ることができれば編集することもできるのですが、デスクトップのメモとしてはやや使いづらいのです。
そう思っていたところにSimplenoteというiPhoneのメモアプリと同期するJustNotesというデスクトップアプリがあると知ってさっそく試してみました。(ちなみにSimplenoteもウェブで同期をとっています。)
結論から言うと日本語が対応していないようでうまくはいきませんでした。しかし、また別にSimplenoteSyncというSimplenotesのサーバーにローカルにあるテキストファイルを同期させることができるというPerlのプログラムがあることを知りました。そして、Notational Velocityをテキストファイルとして保存すれば、Simplenotesのサーバーに同期できるとも。これはまさに私が望んでいるシームレスなメモ環境です。
というわけでこちらも試したみたのですが、やはり結論からいうとうまくいきませんでした。ファイルが重複して出来てしまったり、さらにはMacでcronを動かす際のエラーもあったり。
Simplenoteは開発者向けにAPIを解放しており、こういった連携の試みが多く行われているようです。また、momoのユーザーにも同様のことを考える人がいるようで、momoもデスクトップアプリを計画しているそうです。
というわけで、このあたりのシームレスなメモ環境は時間の問題で解決しそうではあります。
Notational VelocityのファイルはDropboxに保存しているので、メモの内容はiPhoneからいつでも見ることができるので、それで問題ないと言えば問題ないんですけどね。
以下、文中に出てくるアプリのリンクです。
Welcome to your notable world | Evernote Corporation
http://www.evernote.com/
momo: iPhone, Memo, Sync
http://www.momolog.com/
Simplenote
http://www.simplenoteapp.com/
Notational Velocity
http://notational.net/
Dropbox – Home – Secure backup, sync and sharing made easy.
http://www.getdropbox.com/
デジタルか、アナログか?情報活用ツールの選び方
アナログかデジタルか?タスク管理やスケジュール管理をやろうとした場合にどちらを採用するかというのは悩ましい問題です。ちまたにはiPhoneアプリをはじめとして効率的でスマートな方法でこれらを扱おうとする手法が溢れています。しかし、結論からいえば、どちらかだけという二分法的な考えは真っ先に捨てるに越したことはありません。大事なのは使い分けだからです。
そもそも、どういった基準でアナログかデジタルかを分ければいいのでしょうか。私が考える基準は「ストックすることに意味が生まれるかどうか」ということです。
例えば、電話でのちょっとした要件だったり、夕飯の食材だったり、ちょっとした地図だったり。あまり再利用ということを考えなくていいような類のものはストックしておいてもあまり意味がありません。ささっと紙に書いて、用事が済めば捨てればいいでしょう。こうした用途には紙メモが適しています。
では、ストックすることに意味が生まれるものというのはどういうものでしょうか。これはアイディアや思いつき、支出メモなどです。特に「思いつき」というのは揮発性が非常に高いので、これをキャプチャーするかしないかというのはそれこそ瞬時の判断が求められます。この場合、いいのは紙でしょうか、デジタルでしょうか。ちょっと前なら迷うことなく紙メディアだと答えていたと思います。実際、私はモレスキンを持ち歩いては立ち止まってメモをしていました。しかし、今ならもちろんiPhoneです。
さて、それではタスク管理やスケジュール管理にはどちらがいいのでしょうか。これについては扱う対象の量によるのではないかというのが私の意見です。100件を越えるようなものであれば、迷わずデジタルで管理したほうがいいでしょう。紙に書いて把握できるような気がしません。しかし、日々のタスクやプロジェクトなど挙げていっても100件に満たないようなものであれば、紙メディアのほうがいいのではないでしょうか。
多くの情報活用術の本の著者は平均以上に多忙です。なにしろ多忙だからこそ、そういった情報のさばき方を考えているわけです。しかし、そのやり方を採用しようとして多くの人が感じるのはオーバースペックということではないでしょうか。
これは例えば移動の手段として自転車で十分なところをスポーツカーで行こうとしているようなものです。みんなスポーツカーに憧れるのですが、よくよく考えれば自転車で十分かもしれません。要は目的の場所に早く着けばいいのです。
ツールや提唱されるやり方をそのまま受け入れるのではなく、自分自身を見つめ直して等身大の方法でやるのが一番良いのではないかといのが現在の私の結論です。
「ツイッター 140文字が世界を変える 」を読んでツイッターについて考える
私はツイッターが好きですが、ツイッターについて考えることも同じぐらい、いやそれ以上に好きです。話題の「ツイッター 140文字が世界を変える 」を読んだところなので少し考えてをまとめてみます。本書は著者のおふたりが長年インターネットのなかで生きてこられてこその説得力がいかんなく発揮されていてとても読み応えのある本でした。入門書といってあなどっていてはいけません。
ツイッターでようやく情報のやりとりがシームレスになった
まず、「ツイッターとは何か?」というおなじみの問いから始めるとします。私が思うにツイッターはコミュニケーションのツールです。コミュニケーションとは何かというと「情報のやりとり」です。つまり、情報の発信と受信、キャッチボールがコミュニケーションなわけです。意外とこれが今までは難儀だったのは振り返ってみてわかることです。
受信/発信を三世代に分けて考えると、今まで受信と発信はそれぞれ別々の行為だったことがわかります。
メール時代:メールマガジン/メール
ブログ時代:ブログ/コメント・トラックバック・ブックマーク集約サイト(はてなブックマーク、diggとか)
ツイッター時代:ツイート/ツイート
メールマガジンを購読していたからといって筆者と簡単にやりとりができるわけではありません。ブログにしても、コメントはなかなかしづらいものです。ツイッターでようやく情報を得て、それをダイレクトにリアクトすることができるようになったというわけです。
情報の発信という点からもこれまでのメールマガジンやブログに比べて、ツイッターの敷居の低いことは驚異的です。この驚異の敷居の低さがどういう世界をつくっていくのか考え出すと止まりません。
情報量が増えるとコンテンツは小さくなる
いま、こうしている間にも情報は爆発的に増えています。この途方もない大激増によってこれまでの情報という概念が変化しつつあることを感じます。インターネット以前はこのような流れであったと思います。
- 情報量が限られている/アテンションが豊富/コンテンツの粒度が大きい方が望まれる
これに対して現在はどうかというと。
- 情報量に限りがない/アテンションが限られている/コンテンツの粒度が小さい方が望まれる
つまりツイッターのようなマイクロコンテンツが登場した背景には情報の量的爆発があるということです。それによって、一つあたりのコンテンツにかけることのできるアテンションが劇的に減ったということが言えます。また、この少ないアテンションをいかに効率的に振り分けるかというところでライフハックの登場とも繋がりそうです。雑誌が読まれなくなったのもコンテンツとして粒が大きすぎるのが原因ではないかと感じます。
コミュニケーションの変化
コミュニケーションという場合、大きく二つ考えられそうです。ひとつは個人間のコミュニケーション。手紙、電話、ポケベル、携帯というふうにデバイスがどんどん小さくなってきています。そして、それにあわせてコミュニケーションが変わっていったということは言えるでしょう。携帯がメールだとすれば、iPhoneこそがツイッターです。2006年のツイッターのサービススタート。その翌年のiPhoneの発表。そして昨年のiPhone 3Gの登場と今年のツイッターのブレイク。歩調があいすぎるほどでびっくりします。
次に個人と社会との間のコミュニケーションです。いわゆる4マスと個人との間の、企業CMと私たちとの間のコミュニケーションです。これまたどんどんマイクロコンテンツ化していっています。
つまり、インターネットによる情報の量的爆発の結果、人々のアテンションがどうにも追いつかなくなったというまさにそのタイミングにあらわれたのがツイッターで、しかも、それは優れて効率的なコミュニケーションツールでもあったということから、これまたインターネットデバイスのiPhoneの登場とも相俟って一気にブレイクした。こういうことではないでしょうか。
コミュニケーションが大きく変わったことで社会的にどういったインパクトがあるか。個人的に最も関心のあるところはここです。社会的なインパクトというのはたとえば企業の変化です。政治の変化です。社会の変化です。ツイッターの最初の印象は個人間のコミュニケーションが変わるというだけだったものが、今ではもっと根本の部分を揺さぶっているような気がしてなりません。
本のなかでもっとも印象的だったのはこのフレーズです。
On page 203:
そう!14年かかって!やっとネットはここまで来たのです。それを今楽しまないで、いったいネットをやる意味なんてあるのでしょうか?
Don’t think, twit!
人生は今何時?
ふと思いついて今までの人生を3年刻みで振り返ってみました。そこで気づいたのは、今まで長いこと働いてきたようでいて実は人生の半分も働いていないということです。
この気づきは自分にちょっとしたパースペクティブの変化をもたらしてくれました。さらに現在からの3年刻みで行をつくっていくと、なんとまだまだ働く人生が待っていることにも気づかされます。
以前なら「まだまだ何十年も働かないと行けないのか・・・」と考えていたかもしれませんが、「まだまだ色々できる!」という可能性を感じたのはこの数年の自分の中での大きな変化です。
何も今までのキャリアがすべてではないのです。これからがまさしく自分の仕事をつくる時間なんだと漠然とですが思ったのです。
Twitterでつぶやくとこんなリプライがありました。
@233mm
11:58am, Oct 20 from Web
@shimoyama 年を3で割って出てきた数字が時間、ってのは聞いたことあります。12才なら朝の4時。60才なら夜8時。
つまり僕の人生の時計はまだ昼の12時だということです。楽しい午後はこれから始まるというわけです。
今、あなたの人生は何時ですか?
より良い人生、より良い世界
Twitter共同創業者のBiz Stone氏のインタビュー記事がCNETに掲載されていました。その中で個人的に非常に感銘を受ける一言がありました。
Twitterを使って人と人のエンゲージメントをより強固なものにし、世界をもっと狭いものにしましょう。そしてそのコネクションを通じて、より良い世界にしていきましょう。
「Twitterは技術ではなく、人間性の勝利」–Twitter共同創業者Biz Stone氏来日:インタビュー – CNET Japan
「より良い世界にしていきましょう」というのはTwitterに限らずシリコンバレーのなかではよく言われる言葉らしいですが、ここでもまた登場しています。
この「自分たちが世界をより良いものにする」という信念は一体どこから来るのか、私はとても興味があります。
一昔前、アメリカは世界の警察官気取りで自分たちのルールが全てだといわんばかりだということをよく言われていました。それはこの間まで続いていた世界中のアメリカ観というべきものだったように思います。そうです、オバマが大統領になるまでの。
私は政治について多くを語るつもりはないのですが、このシリコンバレー的な信念とそれが一役買ったオバマ政権の成立には根底で共通する価値観があるのだろうと思います。それが「世界をより良くする」という信念なのかと。
この価値観はひいては個人のキャリアとか人生観にも影響しているように思います。アメリカはそれこそ自己啓発的なブームの誕生の地でもあるように、人生においてもまた「より良くする」という信念があるように思います。
making things betterという時「何がBetterか?」というふうに捉えないところもまた1つの特徴のようです。BetterはBetterなんだよ、という感じなのかもしれません。
しかし、「何がBetterか?」と迷っていては結局行動が生じません。懐疑的で、なるようにしかならないという閉塞感のなかで、その空気を吸いながら生きてきて、このアメリカ的な(というとくくりすぎですが)価値観に個人的にとても惹かれます。
人生はより良くすることができるし、それが社会をより良くする。ひいては世界をより良くする。1本通った考え方だと思うのです。
ビジネスとサービス、またはウェブについて
Fixed amount handouts
Photo by 27199882@N07
今朝はいろんなウェブサービス終了のニュースがありました。ちょうどいい機会なので常々頭の片隅にあった「ビジネスとサービス」について考えをまとめてみようと思います。
まず、ビジネスとサービスのそれぞれの定義についてgoo辞書で調べてみます。
ビジネス 【business】
(1)仕事。事業。商売。
(2)特に,個人的な感情をまじえない,金もうけの手段としての仕事。サービス 【service】
(1)相手のために気を配って尽くすこと。
(2)品物を売るとき,客の便宜を図ったり値引きや景品をつけたりすること。
ビジネスが「金もうけの手段としての仕事」とはまたあからさまな定義ですが、おおよそ私たちがイメージしている意味のままです。
結論から言えば、この2つは決して相反するものでも相容れないものでもありません。車の両輪のようなもので2つが上手く回っていないと本当にいいサービスは提供できないのです。当たり前ですが、どちらかだけでは絶対にダメなのです。
それでは、両方大事だとして、一体どちらを優先すべきなのでしょうか。この答えもまた明白です。サービスを優先してビジネスを考えるということです。
ビジネス志向だとサービスの質は低下する?
ビジネス志向は言い換えれば利益第一主義、結果重視主義、拡大成長路線といったものに代表されるように思います。会社の営業方針なんかを見れば一目瞭然ですね。サービス志向はそれとは反対に貢献第一主義、プロセス重視、継続成長路線と言えそうです。
それぞれの志向性にこのような特徴があるので、ビジネス志向が優先したサービスはプロセスを軽く見るようになります。しかし、サービスの改善はプロセス重視のなかからしか生まれてきません。これをしたから結果(利益)に繋がるということは言えないのです。
つまり、ビジネス志向に走りすぎたサービスはプロセスよりも結果に重きを置くようになるため、サービスの改善が行われにくく、結果的にユーザー離れを起こすのではないかということです。
今まで終了してきたサービスのすべてがビジネス志向で、そのためにそのような結果になったわけではもちろんありません。サービス志向であっても、終了を余儀なくされるときはされるのです。
ただ、中にはビジネス志向があまりにも前面に出て来すぎているためにユーザーの定着が見られなかったのではないかと思えるものもあります。
ビジネスとサービスのバランスが大事です。いくらサービスのためにこうすべきだということはわかっていても霞を食べて生きていけるわけではありません。ただ、利益は継続のために考えるべきで最初からそれを目的にすべきではないように思います。
お金儲けは大事です。大事ですが、それをあからさまに目指しているサービスは個人的にはあまり使いたくありません。








